今、「ヘーゲル大論理学研究」(見田石介・著)を読むことの大切さ! 基礎を固める時じゃないんですかね

25年以上も前です。私が、ヘーゲル哲学に興味を持ったのは。

当時、ヘーゲルを読んでいると「観念論のヘーゲルなんて」と、言う先輩もいました。確かに、ヘーゲルは、その基礎を「観念論」としています。でも、それ以上に、ヘーゲルの功績は大きかった。それを、「観念論」の一言で一蹴するのは、正しくないんですよね。例えば、白を「白」という場合に「黒」を知っていなければ、はっきり「白」を区別することが出来ない。だから、不十分な点がありながらも、反対物をきちんと勉強する。その上で、どこが違うのか、注目すべきところはどこなのか、ということをはっきりさせなければならないと。だから、「反対者」の主張(意見)を良く聞くってことが大切なんですね。

それを、いろいろと理由をつけて、一蹴するのは、ある意味、「思考停止状態」なんですよ。はっきり言って。

ヘーゲル大論理学研究」との出会い

こうしたなか、ある人が、「ヘーゲル大論理学研究」を読んでいて、読むことを勧められました。これまで、何回も「小論理学」を読んだんですけど、理解できません。ある時は、日本語訳がおかしいのではないか、と思い、原文を読んでみようと、ドイツ語を勉強しはじめたこともあります。でも、それって、すごい労力のいることで、働きながら、というのはとても続きませんでした。このようなときに出会ったのが「ヘーゲル大論理学研究」です。

一般の書店では、取り扱っていません。当時はAmazonもなかったので、取り扱っている書店を見つけ、郵送していただきました。

ワクワクしながら、「ヘーゲル大論理学研究」を手にしたことは、今も、覚えています。なにせ、1冊5、000円。4巻までありましたから、計20、000円です。用語がわからないから、「ヘーゲル用語辞典」も購入しました。

資本論」を理解するために

そもそも、なぜ、ヘーゲル哲学を学ぼうかと思ったのかって言うと、「資本論」を理解するためです。レーニンは、「資本論第一巻を理解するためには、ヘーゲル哲学を理解しなければいけない」という旨を著書で言っています(どの著書かは、忘れましたけど)。つまり、「資本論」は、一般的には、経済に分類される書物なんだけれども、その分析方法はヘーゲル哲学を最大限に活用しているってことなんですね。ヘーゲル弁証法を、理解しないと、資本論の第一巻は理解できない。正しいかどうかは別にして、そのような性格の書物なんだと思いました。

資本論第一巻は、10回以上読みました。いや、それ以上です。なんとか、15年前に、資本論を読み終えましたが、「理解できたのか」と聞かれると、明確に答えられる自信はありません。特に、第一巻の最初の部分について、哲学的に説明することは無理です。扱っているのは「商品」の考察なんですけどね。私なりに言うと資本論の最初の部分は、「経済学」というよりも「哲学」を読むって考えた方が楽ですよ。

「物事をどう捉えるのか」

哲学って難しく考えると、どこまでも難しくなります。でも、哲学は、身近なんですよね。「我思う、ゆえに我あり」(デカルト)は、有名な命題です。こんな感じで、自分と世界をどう捉えるのかなんですよ。私が、世界があるって「思う」から、世界があるのか。「世界がある」から、私が、世界があるって思うのか。まったく、逆ですよね。

いずれにせよ、「物事をどう捉えるのか」の一言に尽きます。

自らの頭で考えること

仕事、政治、経済、世界と日本は大きく変わろうとしています。その時に、「自分ならどう考えるのか」という立ち位置をはっきりさせておくことが、とても重要なんですね。いずれの立場に立とうとしても。その意味で、哲学を学ぶことは、基礎なんですよ。自らの頭で考えるってことが大事なんですね。20年以上も哲学を学びながら、きちんと理解できていない私が言っても説得力がありませんよね。でも、大事なのは、理解できたのかどうかよりも、自分の頭で考えるっていうことなんです。一生、勉強は、終わりません。

 

ヘーゲル大論理学研究〈第1巻〉 (1979年)

ヘーゲル大論理学研究〈第1巻〉 (1979年)