長男(高校一年生)が「アスペルガー症候群」のグレーゾーンなんです。不登校になったときの対処法をご紹介

我が家の長男(2015年度・高校一年生)は「アスペルガー症候群」のグレーゾーンなんですね。なぜかって言うと、小学一年生の時、不登校になったんです。で、小児精神科に通ったんですですよね。



 

 

 

 

 



心理テストと面接で判明したんです

 

幸い、杉並区に精神科があって、自転車で20分ほど。一定期間、妻と長男が通いました。その精神科は「小児発達病院」っていうんですけど、区外からも結構、通われている人がいて、希少性が高かったんですよ。地方だと、このような専門医院はほとんどないと思います。

 

ただ、「小児」というだけあって、「大人」は専門外。「大人」はもっと少ないんでしょうね。で、心理テストと医師との面接の結果、「アスペルガー症候群」のグレーゾーンだと診断されたんです。

 

記憶力がめっちゃいい

 

長男は、保育園の時から記憶力がめっちゃ良かったんですよね。親が、大丈夫かな?と思うくらい。保育士さんも、記憶力の良さに「褒めて」いました。でも、アスペルガー症候群のグレーゾーンだなんて思ってもみなかったんですよね。そりゃ、そうですよ。そんな知識なんてありませんから。

 

症状が出始めたのは、小学一年生の10月頃だったでしょうか。朝、「おなかが痛い」などと体調不良を訴えました。内科で診察しても、「異常なし」です。だって、学校に行かないために体調不良を訴えていたんですから。ただ、胃腸薬(ビオフェルミン)は処方されていました。気休めですよね。

 

内科医は、うすうす、気づいていたんですよね。

 

舌と鼻の感覚が人並み以上なんです

 

長男は、記憶力の他に、舌と鼻の感覚が人並み以上なんですよ。なので、料理に対するこだわりが人一倍強いんです。「調味料変えた?」「これ、洗濯した?」と、私が、わからないことまでも、瞬時にわかってしまうんです。

 

今もその感覚は衰えていなくて、外出先から帰宅したら、まず、シャワーです。だから、洗濯物は長男の物が多いんですよね。でも、「我慢して」という以上に、長男は「我慢できない」んですね。受け入れるしかありません。

 

「治療」ではなく「療育」なんです

 

アスペルガー症候群は治療法が確立されていません。なので、「治療」ではなくて、「療育」なんですね。幸い、といってはなんですが、長男は小学一年生で診断されましたから、すぐ「療育」することができた。これが、大人になってからの診断だと、小学校から高校、大学、社会人になってからも、つらい思いをするんですよね。ただ、多くは、大人になってからの診断が多いのが現状です。

 

まあ、アスペルガー症候群自体が、最近になって認知されてきたのですから、しょうがありません。でも、本人はつらいんですよ。「自分勝手だ」「空気が読めない」なんて、言われたりしてね。

 

長男は、学校で担任の先生が特定の生徒を叱っているのに、「自分も叱られている」と思ったりして、すべてのことを「受け止めた」んです。もちろん、冗談も通じません。真に受けますから。これが、友達とのトラブルの原因でした。

 

家では「レッドカード」と「イエローカード」を作った

 

学校だけではありません。家でも同様なんです。長女を叱っているのに、長男は「自分が叱られている」と真に受けて、どうしたらいいのか、わからない状態になっていたようです。学校でも、家でも、自分とは関係ないのに、真に受けてしまえば、疲れてしまうのは当然です。

 

なので、妻は、「レッドカード」と「イエローカード」を作ったんですよね。で、長男に「レッドカード」を出したときは、長女を叱っている時だよ。「イエローカード」は叱っているんじゃなくて、「これをしたらだめだよ」と言って聞かせ、場面、場面で「カード」を出して言っていました。長男は、これで、かなり楽になったようです。これは、わたしが、最近、知ったことです。

 

一人で悩まず、専門医に相談してみる

 

妻は、長男が不登校になた時、そして、アスペルガー症候群のグレーゾーンだと知らされたときは、かなり、自分を責めたようです。長男と、無理心中も考えたとのことです。ただ、子供(長女、次女)が残ると、わたしが、大変になるだろうと、子供3人と心中を考えていたんですよね。

 

わたしは、全然、知りませんでした。仕事で、一杯いっぱいでしたから。

 

ママ友にも「ここがいけないんじゃないの」と言われたりして、かなり混乱していたようです。義母(妻の母)も、聞き慣れない障害名で大慌てだったんですよね。で、「解決策」を電話で機関銃のように言ってくる。それも、かなりの負担になっていたようです。

 

ただ、二週間に一度の診察で、医師からの助言が救いだったんですよ。最初のうちは、長男と二人で行って、長男は心理士さんが、妻は医師が対応してくれ、一年ほど後には、妻のみが医師と話していたんですよね。

 

ここまで来ると、長男が、ということではなくて、親がどう対応するのかの段階です。「治療」はできないから、学校と家庭での「療育」が中心になるんですよ。で、親が近況報告して、どう対応するのかの助言をしてもらうんですね。それを、養護教諭に伝えるって感じです。

 

こうして、徐々に学校に行けるようになり、今では、不登校がなかったかのように楽しく学校に行っています。相変わらず、舌と鼻の感覚は鋭いです。

 

長男が、中学生になったとき、今度は、長女が、不登校になります。やれやれ、です。で、妻は体調を崩して、退職しました。 今は、元気ですが。

 

 

 

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