ついに、手帳を手放し、開放感に浸っています。「手帳」が必要のない生活が「普通」になることの幸せ。

「手帳」って、必要ですか。

突然すぎましたね。

私は、社会人になってから、手帳を常に持ち歩いていました。いろんな手帳を買い。おまけに「手帳術」「メモ術」本まで購入して、「時間管理の達人」のつもりでいました。自分に酔っていたんですかね。笑えますね。

これが、つい最近まで、です。

でも、もう必要なくなりました。

だって、書くことがないんですもん。

 

手帳を持っていた時には、「空欄」(予定がない)があると、「何か予定を入れよう」「何かないか」と、常に考えていましたから。

予定がないと、「頑張っていない」ような気がしてたんですね。で、カレンダーに予定が埋まっていくと、なんとなく充実した毎日を送っているような気になるわけです。

でも、もう頑張ることをやめましたから。がんばるマンではないのです。

 

先日、人間関係の断捨離のすすめ、を書きました。

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現在は、人と会うことが、ほとんどありません。週に1回、会うかどうかです。様々な、イベントもありますけど、参加していませんし。例え、参加するとしても、手帳に書くほどではありません。

先日、津島に帰省した際も、思いつきでしたから。自分が好きな時間に新幹線に乗って、帰りの日時も決めず。まあ、決めてたとしても、手帳には書かないですね。

このような生活って、特殊といえば、特殊の部類に入るんでしょうか。手帳を持っているのが「普通」なんですかねえ。やっぱり。。

でも、「普通」ってなんだろう、と考え始めたわけですよ。今まで「普通」にやってきたことを、やらなくなる。もしかしたら、「普通」でないことのほうが「普通」かなとね。

こんなことばかり考えているわけではありませんが、今の自分にとって、手帳は必要ないってことです。

 

今後、どうしても必要であれば、iPhoneか、残っているノートにメモしておけばいいんですよね。今日は、午前中に1件、来客があります。それだけです。

 

手帳から、開放される生活はいいですよ。