フリーター、住宅ローンを返済する。人生は、変化の連続なんですよ。

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医師の「完治」できない宣言

医師から、私の病気は、不治の病だと宣告されていたようです。

「されていたよう」ってのは、私が直接聞いたわけではなくて、職場の上司が聞いたから。それを、後日、私に伝えたという訳です。

ただ、医師は、完治はできないけど、「寛解」をめざすと。

寛解(remission)とは、一般に、病気の症状が一時的あるいは継続的に軽減、または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態をいう。ほぼ「治癒」に近い状態であるが、精神神経疾患の中には慢性疾患の要素を持つものもあり、症状消失後も一定期間の予防的な内服や経過観察を行うことがあるため、治癒とは言わず「寛解」と呼ぶことが多い。Wikipedia

まあ、医師は、お手上げ状態ではないけれど、力及ばず、ってことでしょうか。

確かに、この数年間は、波はありつつも、通常業務に大きな支障をきたすとまではいえず、一応、働き、日常生活を送ってきました。

「再燃」したのは今年2月

先ほどの医師から、昨年(2014年)11月、職場近くのクリニックに転院し、経過は順調でした。しかし、今年の2月に「再燃」。「これ以上は、無理」だと判断し、家族とも相談して、退職することにしました。

ところが、そのことを医師に伝えると、「今、判断せず、診断書を書くから、まず、休みなさい」と。こうして、私の休職生活がスタートしました。と同時に、職探しもスタート。休職しているにもかかわらず、求職活動なんてできないのに、焦りがあったんでしょうね。1カ月もすると「何やってんだ」と思うようになり、求人広告をあら捜しするのをやめました。

就労支援施設の「お試し体験」をやめた訳

それにしても、今後の生活に不安がなかったわけではありませんので、とりあえず「保健センター」へ相談しに行きました。当時は「転職したい」との気持ちがあったので、そのことを伝えると、就労支援施設を紹介されました。いくつか紹介された中から、比較的交通の便が良い施設があったので、そこに行くことを決め、お試し体験(合計4回)をすることに。

この施設は、自治体から補助金を受け、主に精神疾患で休職中の人が復職をめざして、生活リズムを整えつつ、求められる事務能力を高めていくプログラムを実施しています。短くても3カ月は週2回、通わないといけません。

でも、お試し体験の2回目が終了したところで、通うのをやめました。1回目はディスカッション、2回目は日経新聞の記事を要約し、プレゼンする、というプログラムだったんですが、どちらも、難なくこなしてしまったんですよ。

自分が求めている施設ではないなあ、と実感しました。なので、3回目以降は、行ってません。同時に、正社員でなくてもいいんじゃないの?と思い始めたこともあります。

移住を考え始めたが、家族の反対で断念

20年以上前は、東京に来ることなんて想像しなかったですし、愛知から東京へ来て事務所に就職した頃は、このような状況になることなんて想像もしていませんでした。

いやあ、人生って、何が起こるかわからないですね。変化の連続なんですよ。つくづく、そう思います。

そうなると、東京に住み続ける理由もないじゃん、と思うようになり、移住を考え始めました。でも、長男は高校に入学したばかり、妻も仕事を始めて間もない頃だったので、家族からは、反対されました。あたりまえですよね。でも、私の勝手な思いですが、東京に住み続ける限り、私の病気は、よくなりません。

だったら、好きなように生きてやる!って考えるようになりました。

「大物」の妻が現実逃避して、ゲームをする

妻は「もう、十分働いたんだから、仕事しなくていいよ」とは言ってくれたものの、妻だけの収入では、住宅ローンを返済し、子どもたちの教育費まで、まかなえるはずがありません。家のお金は、私が管理していましたから、それは、十分というほどわかっていました。ただ、妻は、そのことが、わかっていません。

ある日、我が家の収支について妻と話し合いました。妻からの申し出があったからです。住宅ローン、食費、固定資産税、塾の月謝、水道料金など、すべてを洗い出し、妻の給料と突き合わせたら、大幅な赤字。私は、わかっていましたが、妻は、はじめて知ったようで、布団に潜り込んでしましました。

待っても布団から出てこないので「なにやってんの?」と声をかけたら「現実逃避」と言って、スマホでゲームをしていたんですよ。「やっぱり、大物だ」と、改めて思いました。これで、2人して、慌てふためいたら、正常な判断ができなくなります。

かと言って、妻は、私に「働け」ともいいません。「なんとかなるんじゃないの。その時に考えればいい」と。妻が大物で助かりました。

「この歳で、職探しはキツイでしょ」。叔父がひっくり返る

2015年5月に実家に帰りました。その時、叔父や従兄弟、兄も含めて飲みました。叔父の1人は、訳ありで帰ってきたと察していたので、何も聞かずにいたのですが、もう1人の叔父が「なんで、急に帰ってきたんだ。今日は、仕事じゃないのか」と。

黙っているつもりはありませんでしたが、聞かれたから、この間の経過を話しました。そうしたら「この歳で、職探しはキツイでしょ。もう決まってんのか?」と聞かれたので「な~んにも」と答えたら、ひっくり返りました。

「移住も考えたんだ」と言ったら、さらに、ひっくり返りました。

まー、そりゃそうですよね。大方の人は、びっくりするでしょう。でも、兄やもう1人の叔父は「なんとでも、なるよ」と。フォローするつもりか、どうかは定かではありませんが、私の、これからの生き方に、賛成してくれました。

正社員じゃないといけないの?

すでに、私から「正社員」という選択肢は、なくなっていました。満員電車にゆられ、疲れ果てて、帰りの電車に乗る、って想像したくもありません。世間(多数)に合わせることが、正解ではありません。むしろ、逆を行くことが面白くなってきたんですよね。幸いに、この間、いろいろな人と出会い、いろいろな働き方をしている人を見てきました。

多数に合わせていれば、流れに従っていれば、楽かもしれません。でも、私にとっては、それが、苦痛でしかないのです。とことん、変人になってやろう、と思いましたね。すでに、変人への進化は、始まっていますが。

子どもたちも、私が日中、家にいることに慣れてきましたしね。逆に、買い物などで、家にいないと「今日は、どうしたの?」と聞くくらいですから。私が、家にいることによって、子どもたちも、安心しているようです。

とりあえず、住宅ローン分はアルバイトで稼ぐ

これからのことですが、当面、住宅ローン(約12万円)分は、アルバイトで稼ぐつもりです。で、アルバイトだけでなく、副業もして、収入源を複数確保する計画でいます。

東京に住むとなると、賃貸でも10万円は下らないですからねえ。そのうち、移住しようかって、話になるかもしれませんし。それなら、ラッキーとすぐにでも移住しますよ。

フリーターフリーランス+主夫」という生き方

当面、無職。その後、フリーターフリーランス+主夫といったところでしょうか。肩書は、その時々で、変えましょう。

フリーター住宅ローンを返済する」って結構、面白いと思います。

でも、まだ、正式に退職していないんですよ。それまでは、ぼちぼち、やっています。

ブログの更新が生存メッセージです。