疑問を感じたら自分で調べろ!疑問にさえ感じなくなったらヤバイ状態かもね

最終学歴が高卒です。

なぜかって? 高校生の時は勉強せず、友人宅に外泊したり、ライブハウスに通ってばかりでしたから。高校3年生の夏休み、冬休みは、毎日バイト。結構、稼いでいたんですよね。で、古着屋に行ったりして、移動はタクシー、休憩時に喫茶店と、今では、考えられないような生活をしていました。

読書も好きではありませんでした。高校1年の時、現代文と古文が赤点。ギリギリ2年に進級したぐらい。作文も大嫌い。授業などで、悪い例として取り上げられたのは記憶にあるんですけど、褒められたことは、一度もありません。一方、数学や物理、化学という、いわゆる理系の科目は飛び抜けていた。だから、自分は「理系の人間」だと思い込んでしたんですよ。コンピュータにも興味があって、中学生の時には、授業中に、ゲームのプログラムを書いて、PC6800シリーズだったかな?、自分が書いたプログラムを入力して、楽しんでました。その頃は、フロッピーディスクはなく、カセットテープだったんですよね。

高校卒業後は、進学もせず、就職もせず。いわゆる「プータロー」。アルバイトを転々として、まあ、落ち着くところに落ち着くんですけどね。

読書が好きでない私が読んだのは、友人に勧められた赤川次郎。でも、1回読めば、「もういい」との感じでしたね。唯一、「戦艦武蔵の最後」は3回くらい読みました。どうしてかって聞かれると、なんとも答えようがないんですが、惹かれました。戦争の悲惨さ、というより、戦闘現場の臨場感をもろに感じさせる、そのような描写でした。

「私は殺していない」

あるとき、「誤判」(よく覚えていません)というタイトルのテレビドラマを観ました。この時以降、裁判と刑事弁護に興味を持ちました。で、ドラマの原作を探しましたよ。原作を読みたいってね。自分でも、珍しい。調べたら、原作は「誤判ー私は殺していない」(和久俊三・著)でした。で、書店に行ったら、ないんですよ。出版されてから、時間が経ちすぎてて。書店では「取り寄せが出来ない」って言われました。当時は、Amazonはありませんし、愛知の田舎では古本屋さえありませんでしたから、あきらめました。

家栽の人

時期は前後するかもしれませんが、これもテレビドラマで「家栽の人」を観ました。片岡鶴太郎主演の。最高裁調査官(という出世の道)の座を何度も蹴って、家庭裁判所にこだわる変わった裁判官が少年事件、家事事件を、巧みに解決する。っていうよりも、その裁判官の熱意が感じられたドラマでした。まあ、ドラマですから、現実にはあり得ませんけど。でも、ドラマの第一話を観た翌日、書店で1巻〜13巻(かな)を、大人買いしました。

「法律って」「裁判って」なんぞや

法律は人間が作ります(国会で)。裁判も人間が行います(裁判所で)。2つのドラマを観て、率直に「法律ってなんぞや」「裁判ってなんぞや」と思うようになりました。でも、誰も答えを教えてくれないんですよね。だったら、自分で勉強するしかないと。でも、どこから、どう勉強したら良いのかわかりません。で、とりあえず、法律の最高峰の憲法を勉強してみようと思ったわけです。この時、すでに、20歳は超えていましたが。でも、憲法を勉強するには、どうすればいいのかわかりません。とりあえず、名古屋の大きな書店に行って、「法律書コーナー」を見渡しました。そしたら、いっぱいあるんですよ。憲法に関する本がね。で、1時間くらいさまよったあげく、「憲法」(伊藤正己・元最高裁判事)を買いました。だって、東京大学教授で、最高裁判事も務めた人ですから、間違いないと思って。ただ、それだけの基準です。

書いてあることがわからない

それから、「憲法」を読み始めました。正直、日本語かなって思うくらい、何が書いてあるのか、訳がわからん。本を読むことにアレルギーを感じていた私にとっては、苦痛でした。でも、意欲はありました。この意欲が支えになったのでしょうね。参考書的な本も読みながら、理解を深めることが出来たのではと感じました。「もっと勉強し、考えたい」との思いから、正社員だったのをやめて、午前中だけのバイトにし、午後からは図書館に通った期間もあります。まだ、母親が健在で、働いていたので可能でした。

名張毒ぶどう酒事件」「袴田事件」との出会い

同級生を「いじめ」たこともあります。また、「いじめられた」(というより、いじられた)こともあります。ある意味、両方の体験をしてきたんですよね。私は。このような状況で人格形成された私は、自分を見失っていた時期がある。でも、「正しいこと」と「間違っていること」の区別はしてきたんですよ。自分なりに。で、「間違っていること」について、無関心ではいられない。こうした中、「名張毒ぶどう酒事件」「袴田事件」に出会います。捜査側が提出した証拠、本人の「自白」、関係者の証言や当時の状況を読んだ上で、私なりに、この裁判は「間違っている」と確信しました。袴田事件は、再審開始、被告が即時釈放となります。人が人を裁くって本来、無理なんですよね。でも、人類の英知の結集として、裁判制度がある。それは、たとえ、人が裁くとしても、その裁判制度が「より」優れた制度だということに、ほかなりません。ただ、現在の裁判システムは、捜査側がすべての証拠を開示することをしていないという点で、極めて不十分です。というか、捜査側は、証拠を隠したり、改ざんしているんですよね。絶対に許されないことです。

疑問に感じたら自分で勉強する。疑問にさえ感じなかったら、それは、麻痺状態

疑問に感じたら、まず、自分で勉強すればいいと思います。今は、インターネットですぐに調べられます。労働基準法とか。男女雇用機会均等法とか。でも、疑問にすら感じないこともあるでしょう。それは、よほど、その社会、会社が優良か、もしくは、考える時間さえも与えないブッラクな社会、会社かもしれません。多くは、後者でしょうね。くれぐれも、ブラックに飲み込まれ、「思考停止」状態にならないように。

ちなみに、「誤判ー私は殺していない」は、大阪の古本屋で見つけ買いました。

つづく。

 

 

名張毒ブドウ酒殺人事件――六人目の犠牲者 (岩波現代文庫)

名張毒ブドウ酒殺人事件――六人目の犠牲者 (岩波現代文庫)

 

 

誤判―私は殺していない! (角川文庫 (6231))