婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
と定めています。
何年か前に読んだ不破哲三さんの憲法に関する著書で、憲法第24条のことに触れられていた箇所の記憶が鮮明に残っています。
それは、「両性」という言葉について。
不破さん曰く「男性、女性という言葉を使わず、もし使うとすれば、どちらが、先かで、解釈が変わってしまう」「現行憲法の画期的なところは、『両性』という言葉を用いたこと。これは平等(憲法第14条)を婚姻にまで貫いたんだ」とね(違ってたらスンマセン)。
私は、素直に「すっげーな」と。言葉が持つ意味の深さと同時に、法律的な定義について、深く感動しました。
だって、「男女」と書けば、男が先だから、読み手が男性優位と無意識に読み取る。となると、大日本帝国憲法のもとで育った人たちは、「男女平等」という考えはない(か、ごく少数だ)から、男性優位の社会がそのまま引き継がれるってことになります。
今、現在に至ってもなお、男性優位の社会ですから、24条の言葉が持つ意味ってすごいなーといえる訳ですよ。
で、その時、ふと思ったのが、「両性」だから、「男と女と規定していないよね」ということ。だったら、「男と男」「女と女」も、ある意味「両性」じゃないかと。だったら、憲法は、同性婚を否定していないんじゃないかと考えたんですよね。
経済評論家の池田信夫さんは「男と男は『同性』」と笑うけど
「両性の合意」が「男と男の合意」を意味するという解釈こそお笑いだ。男と男は日本語で「同性」というんだよ。
と言って、憲法学者の解釈に対して「両性の合意が『男と男の合意』を意味する解釈こそお笑いだ」と言ってます。
池田信夫さんの言うことには一理あります。だけど、さすがは、経済評論家ですね。
「男と男は『同性』」というんだったら、憲法には「異性の合意」と書かなければなりません。これなら、「男女」もしくは「女男」と解釈できます。
池田信夫さんの主張は、「同性」という憲法にない文言を使っているところに突っ込みどころがあります。だったら、憲法には「別性」と記述されてますよね。
でも、憲法は「両性」って書いてあるんですよ。
ここが、憲法学者と自称「経済評論家」の違いなんですかね。
逆に、笑ってしましましたよ。こんなもんか、経済評論家って、ね。
別に、経済評論家に対して、どうこう言うつもりはありません。ただ、笑ってしまっただけです。
夫婦が同等の権利
ただ、憲法第24条では「夫婦」という文言が使われています。「婦」という言葉は、女性を示すことばでしょう。
さて、どう解釈するのか。
これが、私の課題です。
第13条の「幸福追求権」に依拠するのか、どうかも含めてね。
道半ばなんですよ
私にとっては、道半ばの課題なんですよね。で、「同性婚」を購入しました。
これは、価値観の問題でもありますから、自分の結論を、他人に押し付けることはしません。ただ、多様な価値観が存在する中で、「人間らしく生きる」ということを、他人の権利を侵害するわけではないにも関わらず、「制限される」社会であってはならないと考えます。
婚姻は、当事者間の契約です。
実際の「夫夫」の考えを聞き、自分なりに考えますよ。