「強制起訴」は処罰感情のはけ口ではありません。別の方法で「責任」を取らせるんですよ。

「強制起訴」って言葉、聞いたことがある人が多いと思います。検察が不起訴にした事案について検察審査会が2回、「起訴相当」と議決した場合、「起訴」されるんですね。だから「強制」との文言が「起訴」の前につくんです。

わたしは「強制起訴」に反対

わたしは、「強制起訴」制度には、反対です。だって、法律の専門家である検事が、不起訴にしたんですから、素人に起訴すべきかどうかの判断ができるわけがないからです。

証拠がどうのこうのの前に、処罰感情が先走っているようで他ならないからです。

もちろん、検察審査会には補助的な役割を持った弁護士が、同席して説明します。でも、「刑事裁判とはなんぞや」というところから、話しているんんでしょうかね。

むしろ、検察審査会のメンバーは、ワイドショーなどを見て、多分に影響を受けているのではないでしょうか。

陸山会事件は最悪の結果を招いた

陸山会事件は、記憶に新しいと思います。忘れたって?それは、すごい無責任ですよ。あれだけ、ワイドショーで「検察審査会での議決に注目」って連日、テレビで放送してましたよね。

まさに、異常でした。あれだけ放送すると、「起訴相当」の議決が出ない方がおかしいと言わんばかりにね。

あの事件は、小沢一郎氏を国会に呼んで、証人喚問をすればよかったのですよ。それができないから、テレビに便乗した政党が煽りまくっているようにしか見えませんでした。

わたしは、「強制起訴」された場合、判決が「無罪」となる確率が大きいから、やめた方がいいと考えていたんですよ。

だって、小沢一郎という権力者が、「被告人」という立場になったとき、まず、自白なんて無理ですよ。取り調べはホテルの一室、しかも別室に弁護士が待機していて適宜、相談できる状況だったんですから。

まあ、本来あるべき取り調べは、こうあるべきかもしれません。だからこそ、無理があるんですよ。

わたしのシナリオ通りになった

わたしが描いたシナリオは、強制起訴→被告人→有罪とすべき証拠不十分→無罪、です。無罪判決が出たら、小沢一郎氏は、胸を張って「裁判で無罪になりました」というでしょう。

実際、わたしのシナリオ通りになり、裁判終結後(控訴審でも無罪)は事件については語られなくなりました。一部、政党機関紙が「黒に近い灰色」「限りなく灰色に近い白」というような負け惜しみの見出しで、もがいていましたけどね。

まあ、「無罪」となったわけですから、小沢一郎氏はイケイケです。

処罰感情を満たしたいだけ

結局、「刑事裁判とはなんぞや」から、なぜ、検事が起訴しなかったのか、などを考慮する以前に、処罰感情が先立っただけなんですよね。

これって、すごく怖いんですよ。もし自分が逆の立場だったらと考えるとよくわかります。せっかく、検事が不起訴にしてくれたのに、それを蒸し返して「強制起訴」されて被告人になる。精神的にも、肉体的にも、お金の面でも、負担になります。

別に、刑事裁判のみが責任を取らせる、だとか、真実を明らかにする訳ではありません。民事裁判だってあります。

でも、民事裁判で責任を問う場合、訴える側にもそれなりの責任が生じますし、むやみやたらに訴えることはできません。だから、より負担の軽い刑事裁判という場に持ち込みたいんでしょうか。

それなら、処罰感情を満たしたいだけですよね。自分は、安全圏にいながらすみますしね。

 

法律の素人が判断するのは、もうやめましょう。結局、市民感覚って処罰感情にすぎませんから。